考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

広域避難者支援における官民協働:京都府の事例

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注:本稿は、立命館大学・東日本大震災に関わる研究推進プログラム<2011年度>採択「地域分散型震災被災者支援システムの構築に関する研究」の支援を受けて実施した研究であり、『南信州における東日本大震災被災者の受け入れと支援第二次報告』に掲載した内容を再掲したものである。



1.京都府避難者の状況と行政による支援

 2012年1月末現在で、京都府内には府の施設・市の施設・UR・民間施設あわせ、416世帯、1209人(うち京都市189世帯、565人)が公的に避難してきたとされている。帰られたり別の地域に転居した方もおり、実際に1月末現在入居しているのは、296世帯が把握されている。なお、府では把握されていない避難の実態も多く(例えば親族を頼って来ているなど)、避難者数は実際にはさらに多いものと考えられている。把握している分での出身県別は、福島からが301世帯922人(1月末現在216世帯614人。以下同)、宮城からが77世帯174人(50世帯101人)、茨城からが28世帯87人(20世帯)、千葉・栃木があわせて9世帯24人(8世帯21人)となっていおり、福島からの避難者が多いことが分かる。また、京都府への避難者は自主避難者が多いことも特徴である。この経緯には、京都府が関西広域連合の中の分担で、被災地支援として、福島県を割り当てられ、援助を行ったことが影響している。京都府は職員派遣のために、3月22日より約5日に一回の間隔で、福島市までのシャトルバスを運行した 。8月末で停止したが、帰りの便(福島から京都)に被災者が乗ることも出来たので、それにより京都に避難してきた家庭も多かった。また、震災後、福島県入りした当初、京都へ避難したいというニーズは、罹災証明や被災証明がある・なしで区切れるような状態ではなかった。そのため、罹災証明を持つ者は公営住宅で受け入れ、持たない者に対しては、当時、空き部屋が多かった京都府の職員住宅を開放することで、受け入れたのである。また幸いにも国の方からも国家公務員官舎の空き部屋も活用してよいことになり、そちらでも受け入れることが出来た。また、京都市の場合、公営住宅での受入には、単身者は除くであるとか、ペット不可など、制限が多々あった。このため、より自由な受入のため、民間との連携により賃貸借り上げを行った。

 こうした受入れの経緯により、京都の場合、ある地域に一定の避難者が集住している状況が生まれた。これが良かった面は、避難者同士の顔の見える関係が容易に形成されたことであるが、他方で、地域社会から一種浮いてしまう形にもなったことはあげられるだろう。また、その集住した地域(およびそれ以外の地域)それぞれで、支援の入り方が異なった。ある地域では、避難者が集住していることが広く情報として伝わったので、支援団体が多く関わったが、別の地域では避難者が少なかったため、支援はあまり行き届かない、というケースも生まれた。また、町内会や民生委員と、社会福祉協議会と、ボランティア団体やNPOとが、適切に連携がとれた地域もあれば、(先ほどの地域社会から遊離してしまった話の延長として)支援団体のみが入り、社協や地域団体が適切に関われていない地域もある。

 こうした支援の多様性こそが京都府の避難者支援の課題につながっている。とりわけ京都府内において、支援団体同士がどう連携し、情報を交換し、支援の不均等や漏れに対応していけるのかが課題となっている。以下、本稿では、まず、京都での民間の支援団体同士の連携事例として、「あつまっぺ!」の事例を紹介する。次に、宇治市の事例から、社会福祉協議会が関わり、避難者のニーズや、支援団体と避難者との関係性を調整しているケースを紹介する。そして最後に、京都府が取り組む「プラットフォーム事業」による、支援者・助成団体・避難者をつなぐ取組について紹介し、今後の支援について論じたい。


2.民間団体による支援活動:いくつかの典型的な類型
 
 京都において、民間団体が取り組んだ避難者の支援を、いくつかの形態に分類し、紹介しておきたい。

(1)交流の場づくり
 まず、民間の支援団体が取り組んだのは、避難者同士、あるいは避難者と支援者との交流の場づくりである。避難者が慣れない京都の地で、知り合いもなく、孤立してしまうことを心配していた。こうした交流の場づくりは、大きな取組だけでも次のようなものがある。まず京都災害ボランティアセンター は、6月12日(日)に第一回目の「県人のつどい in 京都」を開催した。数多くのボランティアスタッフが支える形で、避難者は61世帯 131人が参加された。また9月にも第二回目が開かれ、多数の避難者が参加した。

 また、社会福祉協議会が開催する形での交流会もいくつか行われた。京都市内の各区で(山科区、伏見区、西京区等で、366人を対象に実施)行われたほか、後述の宇治市社会福祉協議会等で行われた。

 その他、自主的な団体による開催も相次いだ。例えば「うつくしま☆ふくしまin京都-避難者と支援者のネットワーク」 では、6月25日に、ひと・まち交流館京都で第一回交流会を開いたのを皮切りに、断続的に交流会を開催してきた。第一回目には、福島県からの避難者5世帯9人が参加し、府職員やボランティアらが避難者の不安や要望を聞くなどして交流を深めた。第2回目は7月23日に「たこ焼きパーティ」を企画の柱に開催し、14家族が参加。子どもも多く参加し、にぎやかに交流した。その後、10月22日には、京都南部で初めて開催。茶話会を宇治市生涯学習センターで開き、10人が情報交換した。12月4日にも第4回つどいを年越しまつりとして開催した。その他、個別の避難者向けのイベントの開催や招待には枚挙にいとまがない。秋には様々な団体によって芋煮会も開催されたが、避難者が食事を持ち寄ったり、避難者から支援者を招待する形での実施(宇治市での例)もあり、この時期には一方的な支援としてのイベント開催よりも、「一緒に楽しむ」スタイルでの開催がされるようになった。

(2)居場所づくり
 先ほどの交流の場づくりをイベント的にではなく、拠点を構えて持続的に行っている活動もある。例えば、京都市北区で高齢者への配食サービスや、認可外保育所などの活動している特定非営利活動法人(NPO法人)ハイビスカスでは、避難者と支援者が「ともに少しでもほっとしたり気軽に仲間と集えたり、情報交換をできる場所を作りたいと思い」 、独立行政法人福祉医療機構の助成を受け、「福興サロン和 ~nagomi~」を10月より開設した(図表1)。

<図表1 福興サロン和 ~nagomi~のスケジュール>
※省略。詳細はこちらを参照のこと

 ハイビスカスではこの福興サロン和 ~nagomi~でのサロン活動をベースとして、さらには、個避難者の内職的な仕事支援として「復興念珠」という腕輪念珠内職事業(赤い羽根NPOサポート基金受託)を開始したりと、支援活動を幅広く展開させている。念珠は2012年2月末までに、参加者70人ほどによって、約2000個を販売した。また「和 ~nagomi~」では、東北出身の女性が始めた「京都・まんまるママプロジェクト」の「まんまる会」も月2回程度、避難してきた母子を対象にサロン活動を行ったり、「編み物カフェ」を開催した。「和 ~nagomi~」の利用者は、2012年2月末までに、のべ600人にのぼっている。

 さらに、避難者自身によるサロンの立ち上げの動きもあった。避難者が多い伏見区桃山団地の近くの、伏見大手筋商店街内の文教大学のオフィス(サテライトキャンパス)を使って、7月から毎週火曜日午前に開催された「大手筋ほっこりひろば」がそれである。東北、関東どの地方からでも避難して来た人であれば、子連れでも参加できるものであった。

(3)物資・生活環境支援
 「ライフサポート一歩の会」(現在、「一歩の会」としてNPO法人格の取得申請中)は、東北の被災地各県でボランティア活動をした人達が集まり、組織された任意団体である。結成された当初より、避難された家庭に、行政や支援団体から支給される自転車や家具、家電製品などを無料で届ける作業を行ったり、住宅の修繕や回収、草刈りなどの作業を、建築関係の仕事に携わるメンバー達がボランティアで作業を行っていた。そうした活動を通じ被災者と直に接する中で、様々なニーズを知ることになる。例えば子どもにスポーツの教室がほしいとの話を聞き、サッカー教室を開催する。また、冬が近づき、避難者が入居するある集合住宅の建物に給湯設備が無いことを問題視した会では、資金を集めての設置に動いた。テレビ番組等で募金を呼びかけた結果、匿名での大口寄付が集まるなどし、12月中に工事をすることが出来た。

 また2012年12月末には一歩の会では、「みんなの手」(後述)とともに、被災地福島に住む家族や親戚と、京都に避難している母と子の再会を支援しようという「家族再会プロジェクト」を実施した。京都新聞社会福祉事業団からの財政的支援や、様々な寄付を受け、大型バスをチャーターし、のべ93名が片道1000円で乗車した。この取組によって、避難により離ればなれとなった家族や親族が、新年を共に迎えることが可能となった。

 また、「京都・避難者サポートネットワーク」は、4月末に、専門家(弁護士・税理士・社会福祉関係者、行政関係者、生活支援スタッフ)が集まり、避難生活を余儀なくされる人への継続的支援を行うため、立ち上がったネットワークである。5月に郡山からの妊婦の母子の避難の相談にのり、契約や引越に立ち会ったのを契機に、毎月数件以上の避難の相談に載っている。避難者との関係性も継続的に構築しており、慣れない避難生活の相談にも対応するようになっている。

(4)教育・子ども支援
 避難者には母子世帯が多かったこともあり、子どもへの支援活動も積極的に民間の諸団体によってなされた。たとえば、(財)京都市ユースサービス協会では震災から半年が経ち、震災に関連しての取組を開始した。その中で、震災の影響で京都に移ってきた若者に向けた取り組みを実施した。まず、2011年8月に京都に避難してきている小・中・高生対象『夏休み学習会』の実施した。そこから継続的な学習支援のニーズをつかみ、学習サポート『スタディスペースふしみ』『スタディスペースやましな』を実施(2011年10~12月)した。さらに11月から学習サポート『寺子屋らくだ』を、「緊急災害ボランティア団体らくだ」との共催で開催した。

 また、立命館大学、龍谷大学、佛教大学、京都文教大学、京都大学などでも、大学が主催したり、学生達の独自の取組によって、大学生が避難してきた子ども達の学習支援や、ふれあいの活動を行う取組が各地でなされた。例えば立命館大学政策科学部桜井政成ゼミが中心となった取組では、 8月18、19日と、避難児童向けの学習支援合宿を開催した。参加児童は6名(うち、中学生1名)である(出身は4名が福島県で、2名が茨城県)。夏休みの宿題の支援をメインに置き、教材は子どもの持参であった。夏休みの宿題が終わった児童は持参したドリル等で独自学習の支援をした。短期間ではあったが、成果として充分にあったと考える。また、勉強時間のみならず、自由時間もプール遊び等で大学生との交流が大変進み、子ども達は避難中のストレスを解消したと思われる。

 こうした教育・余暇活動支援について、主なものを一覧として図表2に整理した。なおこれら取組は、後述する「あつまっぺ!実行委員会」のネットワークに多くが参加し、情報交換やイベントの合同開催を行うようになる。
<図表2 NPO・ボランティア団体・大学による主な子ども向け教育・余暇支援活動>
(5)その他
 その他、単発のイベント開催を含めれば、民間団体による支援の取組は枚挙にいとまがない。また、京都への避難者や避難を希望する人への情報発信に特化した活動として、支援者と避難者とで編集を行っている「ほっこり通信from京都」という情報誌が定期的に発行されている。ほっこり通信は、インターネット環境を持たない(あるいはもともと慣れていない)避難者も多いことから、紙での発行にこだわっている。


3.支援活動の展開

(1)個別支援への展開と避難者の会の組織化
 このような交流支援の活動、居場所づくりの活動、物資・環境支援の活動などを通じて、支援していた人達は、避難をしてきた人達から次第に信頼され、個人的な相談も受けるようになっていく。そして次第に、個別支援の活動にも取り組むようになっていった。それまでにも、弁護士会による無料相談など、各種の専門的な団体や機関が、避難者のための相談窓口を開設していた。しかしそこではあまり相談がなかったようである。その理由として、東北の人特有の気質(我慢強い、寡黙、奥ゆかしい)も指摘されたが、あわせて、「何を相談していいかわからない」ということもあったようである。避難者が悩みや生活課題を相談するためには、信頼でき、いつでも何でも気軽に話せる「ワンストップ」な窓口が必要だったが、それを京都では、民間の支援団体の人々が、多様な関わり方によって実現させていったのである。

 しかし、避難者には、支援者には話しにくい内容の事柄もあり、また、避難者同士での情報交換も必要としていた。あるいは同じ地域から避難してきた人同士でこそできる、地元の話も欲していた。そのため、居場所づくりなどの活動の中で、避難者同士がつながり、避難者同士が相談できる「ピア・カウンセリング」の場が生まれていった。それとともに、避難者自身が組織化し、各地で当事者の会が立ち上げられた。とくに、京都市内の伏見区桃山、山科区、宇治市など、避難者が集住していた地域ごとに、夏以降、そうした会が立ち上がっていった。そうして避難者同士も横のつながりを深めていった。

 さらに、避難者が中心となり、京都で避難者支援のNPOを立ち上げたケースもある。それが「避難者と支援者を結ぶ京都ネットワーク みんなの手」である。「みんなの手」では、2011年の年末から2012年の年始にかけて、先述の通り、ライフサポート一歩の会との共催で、福島と京都の間をチャーターバスを走らせ、離れて暮らす家族が再開できる機会を、「家族再開プロジェクト」と銘打って、実現させた。それを活動の契機として、現在、「ちいさなつどい『テトテ』」という交流の場を、毎月一回、御香宮神社の一角を借りて、実施している。

(2)民間支援団体間のネットワーク:「あつまっぺ!実行委員会」の事例
 京都の教育関係の団体・個人が避難者の支援の情報交換等を行ううえで、「あつまっぺ!実行委員会」の場とネットワークの果たした役割は大きいと考える。
 このネットワークの契機は、そもそも、2011年6月12日に京都災害ボランティア支援センターが主催で開催した「県人のつどいin京都」にNPO法人山科醍醐こどものひろばの理事長が参加したことによる。そこで、京都の子育て支援の情報が避難家庭に届いていないことを避難者自身から聞き、そうした情報を提供できる場が必要と考えたのだった。そして6月21日、山科醍醐こどものひろばに関わっていた学生、社会人が中心となり、第1回「あつまっぺ!実行委員会」を開く。それから約二週間後の、7月3日には早くも 「あつまっぺ!京都子ども子育て情報祭」を開催し、京都各地の団体・組織・サークル・学生の協力のもと、京都への避難世帯を対象に子育ての情報・夏のイベント情報を提供したのである。このイベントには、被災者38名、その他の参加者20名、支援者が36名の、約100名が参加した。

 そしてその後、情報祭に関わった人や団体を中心に、継続的にミーティングを持つようになり、夏以降、「あつまっぺ」のミーティングへ参加する団体・個人は、子育て・教育関係の支援を行う人を中心に、大学関係者や、学生団体などにも拡がっていった(図表2参照)。そこではお互いの情報交換や、サービスの調整、人的・広報的な相互支援がなされるようになっていった。共同イベントも引き続き行われ、10月23日には、被災者と支援者とが集まるかたちでの芋煮会が、約50名の参加者を得て開催した。

(3)市町村における支援体制の形成:宇治市における社会福祉協議会を中心とした支援の事例
 宇治市では、社会福祉協議会を中心に、地元の自治会や、NPOが被災者を支援する体制が整っている。避難者世帯数が少ない(社協が把握する世帯数、避難者数は、2012年3月1日現在で28世帯74名。一時期、32世帯がおられたが、年明けの転居が目立った)ということもあり、目の行き届くケアができるのが強みである。宇治市全域の当事者としての組織化はできていないが、これは、出身地、家族構成、被災状況も全く異なる中で、ひとつのまとまった会を発足させるよりも、後述の「集まっぺ!みちのくびとの交流会in宇治」のように、それぞれがゆるやかなつながりを求める声が強かったためである(ただし、避難先の地域でグループを形成している例も存在する)。

 支援の契機は、宇治市社協職員が2011年4月に5世帯の被災者と非公式交流の場で懇談した際に、避難元の地域の情報が不足していることを聞き取ったことによる。そこから4月末に自治会の協力を得て、集会所に被災地の地元新聞紙(「岩手日報」「河北新報」「福島民報」)の朝刊を1部ずつ購入し、発行日から1~3日遅れで閲覧できるようにした。それによって新聞を読みに来る避難者と、自治会役員とが顔なじみになり、何気ない会話ができるようになり、孤立を防ぐことにつながった。自治会も、何かあればいつでも連絡を、と、自治会長の電話番号を伝えているケースもある。その他、世帯数が少ない別地域では、新聞の回覧を試みる例もあった。また同時にモバイルパソコンも設置した。そのことにより、罹災証明書発行手続きができたり、個人ブログを通じてふるさとの知人、友人に情報を発信できたりと、携帯電話の高額な通信費の負担解消につながった。

 社会福祉協議会、避難者、自治会、NPOが連携し、被災者支援に小地域であたることができている取組として、9月25日に開かれた避難者と支援者の交流会である「集まっぺ!みちのくびとの交流会in宇治」を例としてあげておきたい。これは、宇治市社会福祉協議会と震災避難者、府営西大久保団地連合自治会、NPO法人働きたいおんなたちのネットワークでつくる世話人会の主催で開催した。開催にあたっては、全市的に呼びかける必要があり、連絡先を把握している行政との連携を図る必要がありました。社協がその役割を担い、開催が実現した。それまでにも避難者の交流会は、府営団地単位で計2回開かれていたが、この時に初めて市内に自主避難している人々にも参加を呼びかけた。結果、避難者14人が参加し交流を深めることができた。なお、「集まっぺ!みちのくびとの交流会in宇治」は、2012年3月までに計4回開催された。

(4)官民協働による支援ネットワークの形成:京都府によるプラットフォーム会議の開催
 このように民間の支援団体同士、あるいは限られた地域での支援団体・住民組織の間の連携は早くから見られていたが、京都府内の幅広い支援団体と行政関係者とが一堂に集まる機会というのは、しばらくの間、持たれることはなかった。初めてそれが公式になされたのは、2012年2月1日、京都府主催の「第7回地域力再生コラボカフェ」にて、一つの分科会として「東日本大震災による京都への避難者の支援」が設けられたことによる。33名の、支援者、支援団体関係者、研究者、避難者、行政関係者などが集まり、意見交換を行った。避難者自身から生活への不安が語られ、避難者と支援者の双方から住宅や就職の課題、放射能汚染の拡大への不安などがあげられた。そして避難者・支援者のネットワークの重要性などが確認された。

 その後、府では、「地域再生プラットフォーム事業」の枠組みで、この避難者支援の集まりを継続していくことを決定し、「地域再生プラットフォーム会議 ~テーマ:東日本大震災による京都への避難者の支援~第一回」が3月1日に開催された。このプラットフォーム会議と先のコラボカフェに参加した主な民間団体は図表3の通りである。

<図表3 「第7回地域力再生コラボカフェ」および「地域再生プラットフォーム会議 ~テーマ:東日本大震災による京都への避難者の支援~第一回」に参加した主な民間団体(順不同)>

□ 健生ネットワーク京都
□ リレーフォーライフ京都実行委員会
□ 京都ライフサポート一歩の会
□ ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ
□ NPOユニ
□ きょうとNPOセンター
□ ボーイスカウト京都連盟
□ 滋賀県内避難者の会
□ NPO法人ハイビスカス
□ 京都避難者サポートネットワーク
□ みんなの手
□ ほっこり通信from京都
□ (公財)京都新聞社会福祉事業団山科区社会福祉協議会
□ 三菱自動車工業株式会社
□ 京都災害ボランティアネット
□ 縁(えにし)の会



 現段階ではまだ、官民による共同の取組として、具体的に何かの事業や制度が実現はしてはいない。今後の発展的な方向性として、そうした成果が期待される。


4.おわりに

 放射能汚染の長期化、復興計画の遅れなどにより、避難生活が長引く被災者も多い。将来の見通しも立たないなか、京都新聞の調査によると、京都・滋賀に避難して来た被災者50名のうち、過半数以上が京都・滋賀での永住を望んでいるという 。避難の長期化に伴い、被災者の状況は、物理的にも精神的にも、多様なものとなってきている。こうした個別的な状況に求められるのは個別的に寄り添う、「伴走型」の支援である。京都の場合、こうした伴走型で行われる個別支援の法制度は、現在、被災者に対しては特に用意されていない。しかし本稿で明らかにしてきたように、実態としては、民間による様々な支援の取組により、パッチワークのように、どこかで誰かが寄り添う仕組みが出来上がってきている。NPOやボランティア団体、社会福祉協議会、町内会自治会、あるいは当事者自身が組織化するなどし、避難者の声に耳を傾け、しかるべき支援のために調整を行うことを模索している。また、行政機関と民間団体との連携も、市レベルから府レベルへと、対話が拡がりつつある。これにより、よりよい支援の調整がよりいっそう、円滑になることが期待されている。

 ただし今後の課題として、避難者が自立を果たすまで、求められる支援がどのように持続できるかという、支援の持続可能性の問題が残されている。とりわけ民間の支援団体には、もともと小さなNPOであったり、震災後に立ち上がったグループや団体であったりと、経済的な基盤が弱いところが多い。このため、支援者側も「息切れ」をおこすことが懸念される。それまで避難者に寄り添ってきた経緯を踏まえると、そうした個々の団体の支援が途切れることは、避難者の自立に向けた生活課題の解決に悪影響を及ぼしかねない。そのため今まさに、行政からの補助金だけでなく、寄付や、民間の助成金の活用も含め、どうすれば支援団体が活動を継続できるのかという、経済的基盤づくりの議論が求められていると言える。
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