考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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ご入学おめでとうございます。

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(以下、昨年度-2012年度-入学の新入生に向けて語った内容を再録。)

みなさんご入学おめでとうございます。

みなさんはどのような願いを持って、本学に入学してこられたのでしょうか。

大学に入ったら、友達100人出来るかな、なんて思ってきた人は、まさか、いらっしゃらないでしょうね。

えー、ぜひ、つくってください。友達100人。いや、冗談ではなくて、本気です。

そもそも大学ってどんなところなんでしょうか。
ラテン語由来の言葉で、universeは「全体がひとつにまとまったもの」という意味だそうで、大学であるuniversityはそれが転じて「教師と学生がひとつにまとまって作り上げる共同体」という意味だとのことです。多様な人々が一つに集まる場、なんですね。ここに来て異文化とふれなくては意味が無い。ですから、多くの人と接してほしい。

まずはご学友から刺激を受けてほしい。しかし、だからといって、大学の授業がつまらない、ということはありません。これは断言しておきます。つまらないのは、皆さん自身が「つまらない」と思い込む結果、じっさいにつまらなくなってしまうのです。どういう事かと言いますと、まず、授業がつまらない、と思う学生は、できるだけ楽して単位を取ろうと思うでしょうから、「楽勝」と言われてるような授業を登録します。しかしそんな理由でとった授業に関心があるわけありませんから、授業にでなかったり、あるいは聞いてもまったく関心が持てず、「つまらない」わけです。すると、最初に戻って、つまらないつまらないと思っていたことが現実、つまらなくなってしまうのですね。これを「予言の自己成就」と社会学では呼んでいます。

ですから、大学の授業は面白い、と今から思っていて下さいね。

とはいえ、そんな簡単に授業が面白いものと思えない方に、とっておきの方法をお教えします。もう皆さんは、正門からまっすぐ降りてきたところにある石碑はご覧になりましたでしょうか。何て書いてありますか?そう、「未来を信じ 未来に生きる」ですね。これは、末川博 名誉総長の言葉で、立命館憲章というものも、これをひとつの理念としておいています。

「未来を信じ 未来に生きる」。どういう意味なのでしょうか。これは、私なりに解釈致しますと、希望を持て、ということだと思います。希望とはどういう意味でしょうか。希はまれ、とも、のぞみ、とも読みますね。望はのぞみ。ある辞書によりますと、希望の望は、「月が雲などに隠れはじめたり、大地に沈みつつあったりする状態の時に、人がもっと月を見ようとして背伸びして月を望もうとする姿を表している」そうです。ですから、つかむのがまれなことをつかもうとしているさま、ということができます。

(Boys be ambitious!は、クラーク博士で、また別の大学ですね。ちなみにこれ、少年よ大志を抱けと訳されますが、ambitiousは「野望」ですよね。クラーク博士は本国に帰られてから、仲間と鉱山会社を起こしましたが、多額の借金を抱えて倒産しました。失意のため健康を害し博士は60才でなくなったそうです。うちの大学は野望を抱けとは言っていないので、ご安心を…。)

人はどういう時に希望を持つことが出来るのでしょうか。奇しくも昨年の東日本大震災で大きな被害のあった岩手県釜石市という街で、震災前に、東京大学の先生達が「希望学」ということで、希望に関して様々な調査をされていました。その結果ですが、玄田 有史先生が岩波新書で語っておられるのでぜひお読み頂きたいのですが、釜石も震災前であっても、お世辞にも希望の持てる街ではないのではないかと、玄田先生は考えておられたのですね。景気も悪く、若者も都市に出て行ってしまう。しかし、調査をしてみると、意外にも多くの住民は希望を持っていたのですね。そしてその、希望を持っている住民に特徴的であったのが、その「望み」に向けて何らか行動をとっていること、だったのです。

さて、最初の話を思い出して下さい。そう、授業がつまらないと思うから、つまらなくなる、という話です。つまり、「未来を信じ 未来を生きる」とは、希望を持っているから行動するのでなく、行動するから希望が持てるのだ、という、教えだと私は解釈しています。

ですから、授業が面白くなるには、面白くなるように行動すればいいのです。

では、どのように行動すればいいのでしょうか。

「犬も歩けば棒に当たる」ということわざがあります。意味、ご存じでしょうか。

犬も、ぶらぶら歩いていると、棒にぶつかるから、用もなくうろうろしないほうがいい、というネガティブな意味と、犬にとって棒=面白いものだから、歩き回っていれば何か面白いことにぶつかるものだ、という、ポジティブな意味で捉えられる場合があるようです。ここでは後者の、ポジティブな意味で捉えたいと思います。つまり、「とりあえず行動してみようよ。面白いことにぶつかるからさ。」ということです。

この場合の行動、興味のある授業をとる、という意味と、授業外で何か興味のあることに取り組む、ということの、両方の意味があります。

ゲーテが「私はまったく多くの時間を浪費しすぎた。自分の本来の専門でもないことにね。」と言ってます。(『ゲーテとの対話』)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe[1]、1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。



あのゲーテに言われてしまうと、私などは日々、全て無駄な時間を過ごしている気になってしまうのですが、まあそれはさておき、そのゲーテの言ったのに対して、その話を聞いていたエッカーマンという若者が、その台詞に答えて、というわけでもないのですが、次のようにも言っているのですね。「…詩人が、外界の対象をつかむために、自分の目をあらゆる方法を使って訓練しておくということも、修行の一つにかぞえてよい…修行に価いするかぎりは、まったく的を得たものであった。」と。つまり凡人我々にとっても、修行が必要、というか、あらゆる事は、専門性を高めるための修行だと思えばいいのですね。大学の授業では、自身が選んだ専門性に関わるものも、そうでないものもあると思います。何が将来、専門になるか、あるいは修行になるか分かりません。そのためにどんどん、「無駄なこと」を大学の授業や、授業の外でしていってほしいと思います。

政策科学部の学生の中には、東日本大震災を受けて、一年後の2012年3月11日に、チャリティイベントを開催した学生がいました。ただし、彼女はノルウェーに留学中でした。私も何度か相談を受けましたが、彼女は留学中の仲間と、それこそfacebookやSkypeなどを駆使し、連絡を取り合って、ノルウェーでチャリティイベントを開催したのです。

「Think Global, Act Local」という言葉、ご存じでしょうか。環境問題などで良く言われますが、地球温暖化など、問題は世界規模なので、世界規模にグローバルに考えなければならない。しかしひとりひとりの市民が出来ることは地道なことだけなので、行動は地域で、ローカルにしなければならない、という意味ですね。しかし、彼女のしたことは、その逆、「Think Local, Act Global」で、地域のことを考え、世界的に行動したわけです。情報化が進んだ今日、これからはますます、そういうことが必要な時代になってくるでしょう。

またある学生は、被災地に何度も足を運び、その後、もし自分が今、下宿中の京都で地震にあったらどうなんだろうと考えました。そして地域の人どころか、自分のマンションの他の住人ともまったく知り合いでないことに愕然としました。こんな状態で地震にあったら、誰とも助け合えません。誰も助けに来てもらえません。そこで、同じく2012年3月11日に、鍋パーティを地域で開催したのです。ビラをまいて、興味のある方はだれでも来て下さい、と。これも事前に私は話を聞いていたのですが、まあ、2,3人、変わった人が興味持ってきてくれればいい方ではないかと思っていたのですが、フタを開けてみると、何と20人以上も集まったそうです。それも、地域で様々なまちづくりの活動をしているようなキーパーソンも来て下さったと。

こういう面白い人が、学部にはいっぱいいます。

ぜひ、友達100人つくってください。 私の話は以上です。
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