考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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卒論をどう考えるか(その1)

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卒業要件に含まれない学部、あるいは取得単位数がわずかな学部では、学生が卒業論文(卒業研究)を仕上げるインセンティブはほとんどないに等しい。
(個人的には卒業業件にはせず、その代わりに単位数をボーナス的に10とか20とか与える方が、学生のモチベーションを高める刺激効果が大きい気がするのだが。しかしそれはまた別の話)

かくして卒業論文とは卒業アルバム的な「学生時代の思い出」としてしか、そうした学部の学生には、扱われていない。
ただでさえ今の大学4年生(関西だと4回生)は、恐ろしい就活戦線から帰還して、それからまた就職という戦線復帰までの戦士の休息を楽しもうと、あまり学問に気が向かない。

しかしたとえ単位数が少なくとも、教員としては卒論でしか伝えられないもの(教育効果)があるように思う。
だからできることなら多くの学生に受講してほしい。
(全員だと指導が大変だから逆に困るのだけれど)

じゃあ卒論を書くといったいどんな「いいこと」があるのだろうか。
それを示せば、多少は書こうと思う学生が増えるかもしれない。
しかしこれは、「どんな卒論を書くか(書かせるか)」を先に規定しないと、それによる獲得資源(あるいは“学び”)について語ることができない。
おそらく学問分野によっても、さらには指導教員によってさえ、求められる論文の水準・スタイルなどは異なるからだ。
ということで前振りが長くなったが、私が求める卒論についてまとめてみたいと思う。
ちなみに応用社会科学的なことをやっているので、社会科学系の学問には多少は共通するところがあるのではないかと思う。

1)データに基づくこと
 根拠のないことは言えない。何かを言うためには、とにかく一次データを用意しろ、ということ。あるいは既存のデータセットを使ってもいい。なおここでのデータとは量的データだけでなく質的なデータも含んでいる。

2)先行研究を踏まえること
 あなたは卒論で何を明らかにするのか。あなたが言いたいことは、すでに誰かが言っているかも知れない。あるいは、似たようなことを言うのであれば、どう新しいのかを説明しなければならない。こうしたことはすべて、誰でもないあなたが、論文の中で説明・弁明しておかなければならない。自分の論文の意義・意味はまずは自分で説明するというのが社会科学研究の原則である。こうしたことは連綿と続く知的コミュニティ(学術論文)にアクセスしなければわからない。卒論を書くためには少なくとも20本以上の学術論文にはアクセスする必要があるだろう。

3)分析枠組みがあること
 分析枠組みとはデータ(調査結果)を測る「ものさし」のこと。あるいは、料理で言うところの料理法。つまり、集めてきた素材(データ)を、どうやって『料理』=研究として完成させるのか。煮るのか焼くのか。炒めるのか。いわゆる分析の方法論は何かということでもある。これがないと、生肉と生野菜だけ皿に載せてボンと置かれたみたいなもので、とても食べられるものではありませんよ。

4)学術上、または/さらには、実践上の示唆があること
 卒論は自己満足のために書くものではない。広く学術コミュニティや実社会に何らかの貢献を行うものである。あなたの調べたこと・分析したことはそうした学術的・実践的な意義がどうあるのかを最後に述べなければならない。

なお優先順位もこのとおりである。
あれ?4)が何より優先されるんじゃないの?という意見がおありかと思う。
確かにオリジナリティがないと、研究としての価値は無いに等しい。
ところが1)から3)までの要件(手続き)が満たされていないと、4)は大概、意味のあるものとして表現することはできないのである。1)から3)までは4)の十分条件とも言える。

また、おわかりの通り、この論文は実証研究を前提としたいわゆるIMRAD型で書くことを要求するものである。
いまだに社会科学ではIMRAD型にもとづかない実証研究のアウトプットが散見されるが、トレーニング中の若手研究者も含め、私は基本として身につけてほしい論文の「型」だと思っている。

最後に。
5)テーマは教員が関心を持っているがまだ充分に手をつけられていないものに
 どんなテーマでも論文にしてよい、というのは一見フトコロの大きい教員に思えるが、要は指導はしないということ。教員が熱を持って指導するためには自分も感心あることでないと難しいし、またそれについてリードできるだけの研究畑の「土地勘」がなければ学生を迷子にさせるだけだろう。ただ、もう教員がばりばりやってしまっているテーマだと、自分の縮小再生産を見せられるだけなので、それはそれで教える側にとって刺激がない。ある程度新しい領域の方が教員も新鮮だし、また教えることで逆に自分の新しい研究テーマにするための基礎勉強になるといううまみもある。その微妙な領域を研究テーマとして持って来られると、教員としては教える意欲・メリットが感じられるのである。

これは別に満たされてなくても単位は出せますが、指導を終わってみると結局はよい卒論になる条件であることが多いですね。

だから、学生の皆さんは、教員の関心あるテーマで卒論を書かないと、とっても損だと思いますよ。

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