考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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卒論を知的資源として活用できないか?(卒論を考える その3~戦略編~)

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先般、卒論執筆について、それはお稽古事のようなものであると書いた。しかし他方で、というか個人的に引っかかっているのは、卒論自体は何も意味をなさない成果物なのかという疑問である。

こんにち、見ず知らずの学生の卒業論文も、ネットで検索すれば容易に見ることができるようになった。
というか、日本は学術論文のネット掲載率が低いので(なぜだろう。よくは知らないのだが)、google scholar あたりで論文検索すると、かなりの確率で学生の卒論・院生の修論がヒットする。中にはなかなか馬鹿に出来ない、自分が今現在執筆しているものより出来がよかろうというものにも出くわす。(そして落ち込む)

そこで考えるのは、折角書いてもらった卒論、同人誌的に論文集つくってはいお終い、でよいのだろうかという疑問だ。

もちろん、そのまま(あるいは多少手を加えて)学術雑誌に投稿できるレベルの論文が出来上がる可能性はあまりない(というか、まだ見たことない)。しかし、知的なリソースとしては何らか意味あるなあというものは、わりあいあるように思う。

ちょっと前に、自治体行政職員向けの研修を引き受けたときのことだ。
その時のテーマは「NPOとの協働について」だった。私は担当者との事前打ち合わせの中で、ケースディスカッションをしましょうと提案した。ケースディスカッションとは簡単に言って、事例を分析する中で様々な示唆を得る、参加型の学習活動のことだ。『実践!日本型ケースメソッド教育』(高木晴夫・竹内伸一著 ダイヤモンド社)の中では、「経験豊かな大人が知的ゲームに興じながら自分のモデルを更新していく。それがケースメソッド教育ならでの学び方なのである」と述べられている。だから、よい機会と、提案した次第なのである。

ケースとして考えていたのは、10年ほど前の、ある政令指定都市での清掃活動のワークショップ開催とその後のやりとりであった。
かなり先駆的で、興味深い事例なので、議論も活発になるだろうと期待していた。そして実際、当日は活発なやりとりがあってこちらも楽しく終わることが出来た。

ただその前に問題が、準備段階で起きていた。ディスカッションのための基礎資料を集める段になって、たかだか10年前なのに、ほとんど情報がオープンな形で残されておらず、手に入らなかったのだ。
ご存じの方もいると思うが、ケースディスカッションをするためにはそのシナリオとも言うべき、論文(ケースペーパー)が必要だ。それがない中、なんとか手に入った資料でつぎはぎつぎはぎ、ストーリーを構成し、当日は議論を行ったのだった。

NPOは比較的新しく、実践的な分野なので手軽に多くの情報が手に入ると思っていたこちらもうかつだったのだが、改めて知的なリソースを蓄積していくことの重要性を感じた。誰かが資料を集め、まとめて記録し、公表しておかないと、たとえ興味深い事例であっても、次第にその情報は得にくくなっていくのだ。それこそ大きな社会的損失であろう。

話が長くなったが、つまり、たとえ卒論が「ケースペーパー」レベルの内容であったとしても、それが学術的なルールに則って書かれていれば、残されていく(できればアクセスフリーな形で)意義は大いにあると私は思っているのである。

あるいはもっと戦略的に、例えば京都のNPOの実践者の方々と相談して、「学部生の卒論」の活用方法を検討することができるかも知れない。ここでは日々の実践の記録者としての学生としか存在意義を例示できなかったが、もっとまとまった調査をNPOの方と共同で行う可能性もあるし、それこそ実践的な示唆あるものとして活用していただけるならば、願ってもないことだ。
これまでも実際、うちゼミの卒業生でNPOの調査に参加していた者もいる。
なんらかお互いに「うま味」のあるウィンウィンな取組をNPOと、卒論執筆を通じて出来ないものかと、こちらは勝手に片思いしている次第である。

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