考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

卒論必修化に大義はあるか(卒論をどう考えるか その4)

Posted by sakunary on   1 comments   0 trackback

学生時代、当たり前のように卒論を書いて卒業した。
その際、内容についてはそれほどうるさく指導されなかったように思う。
しかし卒論の存在をいま改めて、指導する側になって考えてみると、本当にそれは大学教育で必要なのかとも思う。
極端な話、卒論を書かなければ大学を卒業させない理由はどこにもないのではないか。
現に今勤めている学部では必ずしも書かなければ卒業できないと言うことはない。

もちろん卒論を書くことには、教育的意義を持たせることができる。それはこれまでのエントリで述べてきたとおりだ。問題はそれをどのような「位置付け」で書くのか、だ。
指導教員の専門領域に即した知的なアウトプットとして(習作とはいえ)外部評価に耐えるものとするのか。それとも他の授業で書いているようなレポートのちょっと長め程度のものなのか。

前者であるならば学生も意気に感じるだろうし、指導する側も熱が入る。
さらに、前者の位置づけで行おうとすると、これも前までのエントリで述べてきたように、相当程度の構造化された指導ステップと、相当程度の教員側の時間を割くことが必要となる。私立大学での授業負担実態からは現実的ではない。例えば、20人ゼミ生がいたとして、ひとりにつき一日1時間毎週指導したら教員負担がどれだけになるか、ちょっと考えれば分かるはず。もちろん教員はそれだけしているわけではないのだから。

そんなに指導は必要ない、という意見があるかも知れない。だとしたら私は、先述の「ちょっと長めのレポート」を書かせるぐらいにしか、指導は出来ない。しかし、そんな中途半端な文章を必修化させてまで書かせる教育的意義は、どこにあるのだろう?

さらに「必修化」には、その単位を落としたら卒業できなくなる、という響きもある。もしもそうであるとすると、この就活の早期化長期化の時代には大変なことになる。就活終了時期が卒論提出の直前になる学生もそれなりにいて、そうした学生達が提出する中身が、充分な水準に達していないものだった場合、どう判断するのか?
公平性を欠いたダブルスタンダードを採用するのか、あるいは何らかの「救済措置」を適用するのか。
そんなことをするぐらいなら必修化など、ほんとうに意味が無い。

まとめると、指導体制を議論しないで卒論を必修化させるという提案はあまり現実的とは思えない。そして教育効果上も、一体何を狙っているのかがよくわからない。正直、効果的な取組とは言えないのではないか。
卒論を必修化させれば学生が学びを深めるようになる、というような単純な思考がどこから生まれるのか?まったくもって理解できない。

個人的にはそんなことをするより、単位をボーナス的に卒論執筆に与えることを提案したい。
例えば10単位分、20単位分を卒業研究に割り当てる。
それなりの労力を費やさないと卒論というものは書けないのだ、という学生の意識づけにつながるし、教員の指導上のウエイトも明確になる。
(よくバラエティ番組のクイズコーナーであるような、「最後の問題は100万点です!」みたいではあるが)

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Comment

北の卒業見込学生 says... "初めまして"
北海道の大学4年生です。

先生の仰るように、卒業論文が就職活動に与える影響は多大なるものだと思われます。

私は卒業論文の執筆を卒業要件とされている学科に所属しており、先輩の中には卒業論文が不可になったことのみが原因で留年した方もいました。

本当は就職試験の対策に集中したい時期なのですが、そういった前例もあるため、今は同時進行で取り組んでおります。

ただ、卒業論文が必修でない学科に所属する同期は就職試験対策に専念できており、同じように就職試験に臨む者として、自分が同じ土俵に立てるとは思えません。

また、企業や官公庁のESや面接でも卒業論文について触れないことも多く、卒業論文を執筆することが正当に評価されていないように感じます。

就職難の時代ですし、「卒業論文必修の学生はバカを見る」という世の中になりつつあるような気がします。

就職試験と卒業論文、どちらにも満足な時間と力を注げず、内定と卒業に対する不安を抱えながら4年目を過ごしております。
2012.08.12 03:09 | URL | #- [edit]

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