考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

ナラティブアプローチによるコミュニティワークの可能性

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今年も2日間のゼミ合宿を仙台を中心とした被災地で行った。一日目は恒例の、しかし今年からは復興公営住宅に移っての、被災者との交流活動を行った。

復興公営住宅では、ゼミ生達が企画して、たこ焼きパーティは、参加者は10数人程度であった。正直、私はちょっと少ないな、と思った。しかし、元仮設住宅の自治会長さんは「成功だった」と言い切った。なぜなら、その復興公営住宅で食事絡みのイベントは初めてであり、また自治会や管理組合もまだ正式には発足されていなかった。その状態で、どれぐらいの人が集まるのか、その方も試してみたかったのだ。

最近、地域コミュニティの文脈というものをよく考える。社会構築主義的に言えば、文脈は人それぞれなので、それは内的な語りの中にしか存在し得ない。そう言ってしまうと、援助対象者の「語り」や「物語」に注目する、援助関係の議論で流行りのナラティブ・アプローチに近くなるが、問題を個人に落とし込めてしまうところには違和感を感じる。思うに、まちづくりや地域福祉といったコミュニティ・ディベロップメントは、そうした文脈をみんなで作り上げていく作業なのではないだろうか。「支援者」と言われるが、要はよそ者であり、その役割は、地域の文脈形成を大切にしつつ、刺激を与える道化師・興行師になるしかないのではないかと思う。

別の例。1月に、地域や社協の方と企画した、ある地域での子供と大学生とのおにぎりパーティがあった。こちらは逆に120人が参加しての大規模イベントであった。こんな一回限りの大規模イベント、何か意味があるのだろうか、と思っていたが、そこで、生活が気になるご家庭の子供も数人参加しており、支援のきっかけがつかめた、と主催の児童主任委員さんが大喜びしておられた。

地域の文脈は、「しがらみ」でもある。良いことばかりではない。そこでしたたかに生きる人々もいる。被災地では、「しがらみ」が無くなり、風通しのがよくなったことを喜ぶ人もいれば、それを懐かしく思い喪失感に浸っている人もいる。絆開き、絆作り直しのプロセスが、各地域でどのように行われるか。仮設住宅から復興住宅へ移る段階の被災地では、これからますます、それが重要になってくるだろう。

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