桜井政成研究室

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

スポンサーサイト

Posted by Masanari Sakurai on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

濃密な地域コミュニティの限界

Posted by Masanari Sakurai on   0 comments   0 trackback

『裸足で逃げるー沖縄の夜の街の少女たち』、Amazonの「後で買う」リストに入っていたのをポチった。内容は、貧困と暴力の中で生き延びるべく、日々もがき苦しむ沖縄の少女達のエスノグラフィ。一気に読んだ後、あまりの衝撃にしばらくぼーっとしてしまった。ある方が「濃密な地域コミュニティがあるにも関わらず/あるが故に救われない」との旨を書かれていたが、その通りだと思うし、しかしいったいどうしたらよいのか分からなく、途方に暮れた。


 もう一冊、合わせて購入したのが『生き心地の良い町ーこの自殺率の低さには理由(わけ)がある』だった。こちらは、日本で自殺率がもっとも低い地域のひとつである徳島県海部町の、学術的な調査に基づく、しかしライトな一般書。その自殺率の低さを分析している。その要因と考えられる一つに、「風通しのよいコミュニティ」が挙げられている。海部町の地域コミュニティには権力関係が薄く、例えば年長者だからといって無条件にエライわけではないらしい。そのため住民は皆、好きなことを言えるし、人の目もあまり気にしない。そうしたコミュニティでは逆にヘルプも出しやすく、問題がかえって地域で解決されるのだと。沖縄の少女達の状況と、あまりにも対比的。コミュニティの濃密さは時に、地域の問題解決につながらないのだという教訓が両方にはある。

ここで終わりでもいいのだけれど、もうひとつ余計な話を。災害ボランティアについて、国のデータを分析していて、気がついたこと。災害ボランティアは、その他の多様なボランティア活動全体と比べ、地域団体よりも個人で活動する人が多い。その「個人」がどのような人々かというと、高学歴で高所得な人たち。つまり、地域団体が機能しない被災地支援の活動には、個人、それも、より「資源」を持つ人々が(ボランティア活動全体と比較して)参加しがちなのだ。決して、苦しみに共感した市民が立場関係なく助け合うなどという、綺麗な話ではない。

「地域コミュニティなんて百害あって一利なしだ!」と極論を述べるのもありだが、この災害ボランティアのデータ分析からは、個人に立脚した「市民社会」は、結局、エリート主義的な階層社会にしかならないのではないか。ボランティアは慈善主義的になるのではないか、という危惧が生まれる。地域コミュニティの再構築を前提に考えなければ、決して「生き心地の良い町」はつくれないのではないか、と考えた次第である。
スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://sakunary.blog134.fc2.com/tb.php/247-c73ff438
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。