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桜井政成研究室

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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Posted by Masanari Sakurai on

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酷暑のボランティアに思う

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今年の夏は梅雨明け早々から本当に厳しい猛暑が続いており、熱中症で病院に運ばれる人も増えている。そんな中、6月には大阪北部で地震が起こり、そして7月には激甚災害にも指定された西日本豪雨災害が起こってしまっている。嫌な言い方だが災害の当たり年である。

とにかく西日本豪雨災害は、広島、愛媛をはじめ、西日本各地に幅広い被害をもたらした。一早い復旧に向けては、自治体、そして国が責任を果たすことが第一だが、それ以外の、官民による支援がそれを加速させることは、言うまでもないだろう。そしてそこには、泥かきなどで活躍する、NPOや災害ボランティアも含まれる。

私自身も被災者となった大阪北部地震では、ボランティアには大変お世話になり感謝している。災害ボランティアセンターの運営のお手伝いをした経験からは、多くの被災した方々の助けになったのを目の当たりにしている。そして今回の豪雨災害でもそれは同じで、多くの被災者の助けになることを期待したいと思っている。

しかし問題は、この猛暑である。連日、35度を超えて湿度も高い中、屋外での運動は控えるように注意まで出ているところで、果たしてボランティアを無条件に推進していいものなのだろうか。学生が行きたい、といった時に、躊躇なく背中を押していいものか。個人的に悩んでいるところである。

結論から言えば、学生を災害ボランティアに送り出してもよい、と考えているのだけれど、それは少し置いておき。ところで今年、猛暑で問題になったボランティアと言えば、どちらかと言えば、2020年に開催される東京オリンピックでのボランティアの募集ではなかろうか。メディアや、あるいはネットの言論で、活動条件や募集方法をめぐって、様々な意見が交わされたが、その中で開催時期については、誰もが否定的に捉えているといって間違いないだろう。なぜ、こんな暑い時期に行うのか。今年のような猛暑だったらどうするのか。ボランティアもだが、競技者も大変なことになるのではないか。と。

私が不思議なのは、そうした五輪ボランティアを批判している人たちは、同じく、というか、むしろ現実的に猛暑での活動に直面している豪雨災害ボランティアについては、誰も表立って批判していないところだ。なぜだろう。突然の出来事に苦しんでいる人たちを助けることと、予定されたイベントの手伝いをするのでは違う、という論理なのだろうか。私は自発性の原則に基づくボランティア活動、ということで言えば何ら違いはなく、行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいいと思うのだが。あるいは、危険が予想されるならば、いずれに対しても管理責任のある立場ならば、行くな、と言わなければならないのが当然と考える。

また東京五輪では大学に向けて、文科省が授業の配慮を行うよう要請した、ということも、多くの大学関係者が反発したところだ。ところが今回の豪雨災害でも、国は、大学に向けて、ボランティアに行く学生に対して授業配慮をするように求める通知を出している。これについては、大学関係者で批判をしている意見を、管見の限りで見ていない(逆に、大学側がボランティアに行く学生を押しとどめている、という意見は、見る)。これも奇妙な非対称性で、ボランティア個人に対しての安全上の配慮を考えたり、大学の学問の自由や学生の学習権の保証、あるいはこれまでの文科省による大学への「教育の質保証」要求との整合性などをかんがみ、どちらか反発するのであれば、どちらに対しても反発してしかるべきではないのだろうか。

豪雨災害ボランティアについては、学生に勧めてよいものかどうか、私も逡巡してきたのはすでに述べた通りだ。だが、この間、被災地に入ったNPOや関係者、あるいは、現地で災害ボランティアセンターを運営する人の流す情報などを見聞きしてきて、その方々を信頼して、学生を送り出すのはやぶさかではない、という判断に至っている。

もちろん、この猛暑の中で健康管理は、100%完全にできるとは言い切れないだろう。しかし、ボランティア派遣を、活動時間を短縮したり、危険な天候の際には中止したりと、ボランティアの安全を確保するための試行錯誤が、その方々の報告からは強く伝わってくる。それは阪神・大震災以降に一般化した災害ボランティアで、これまでに死者が出てしまっているという、苦い経験からきている、関係者の覚悟が背後にはある。

災害ボランティアはケガを始めとして、リスクが高いボランティア活動だ。安全管理は何よりの至上命題。災害ボランティアをコーディネートしてきた方々の中で共有されてきたこととして、それは強く感じられる。そしてそれは、今回のボランティア活動の現場においても引き継がれていることを、関係者が発信している情報から伝わってくる。

ボランティア活動自体、自己責任の世界であるから、健康管理ももちろんそうだ。しかし現場の雰囲気というものがある。リーダーが必死で頑張っていたら、他の人たちが適度に休むこともしにくくなるのは人情。いったい誰への忖度かわからないが、そうした窮屈なものがあっても、どこまで大事にすべきことを大事にできるか。第一には被災者のため。しかし第二に、というかそれ以上に、ボランティア自身のため。それは被災地に迷惑をかけない、二次被害を起こさない、ということでもある。それを管理するのには、経験を積み、覚悟を持った現場のプロのコーディネーターが欠かせないだろう。そうした現場ならば、自己責任を重々伝えた上で、大切な人を現場に送ることができると考える。

経験と覚悟。そして信頼。そうしたことで、人はときに協力し、相互行為を交わすのではないだろうか。ひるがえって東京五輪ボランティアの管理体制にそれがあるのか。私は残念ながら、関係者の姿が見えないためか、それがわからない。もちろん、こちらがそれを知ろうとする努力は必要だろうが、関係者からの情報発信もこれからもっと、ほしい。そこが見えないから、私は今のところ、東京五輪のボランティアをすすめることができずにいる。

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