FC2ブログ

桜井政成研究室

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

京都市の救護施設建設問題について思うこと

Posted by Masanari Sakurai on   0 comments   0 trackback

某テレビ番組からコメントを求められたこの問題。あまり専門ではないので、恥ずかしい限りなのですが。

複数の新聞記事等によりますと、京都市が公募し選定された事業者の建設する福祉施設が、京都市と向日市との隣接地で2020年に開設を予定していたと。施設の事業者が決まった8月、向日市は京都市から施設整備の報告を受けたそうです。そして9月には事業者の担当者が訪れ、説明会の開催意向が伝えられたと。住民からの要望もあり、京都市と法人は11月23日、上植野町の上植野公民館で説明会を行い、会場には定員の100人を大幅に上回る市民が集まったそうです。

建設予定地は、生活圏がほぼ、向日市側になるそうです。最寄り駅も向日市。住民側からすれば寝耳に水で、なぜこの土地なのか説明が足りない、等々、説明会では事業者と京都市への質問と意見が多数寄せられ、「紛糾」したそうです。

結局説明会は1回では収まらず、それから月1回のペースで開かれているのですが、2019年2月現在でもまだ方向性が見いだせていないようです。

建設予定の福祉施設は、緊急一時宿泊機能を備えた救護施設とのこと。救護施設とは、生活保護法に規定された施設で、精神障害や元受刑者など複合的に問題を抱え、行き場のない方たちが生活をする施設です。入居者にとっては、最後の住処になることが多いようです。

こうした、社会的な意義はあるものの、近隣住民にはメリットよりもデメリットが大きい、あるいはデメリットしかない施設の建設に反対する運動や問題を、NIMBY(ニンビイ)と言います。Not In My Back Yard=「うちの裏庭に入るな」の略です。

NIMBY問題については昨年指導していた、インドネシアから来ていた院生が地熱発電を対象に、住民調査を行って修士論文にまとめていました。彼の研究によれば、NIMBYは住民にとっての利益、事業者の信頼、正しい知識情報、安心安全などが解決のファクターとなるようです。

余談ですが地理学ではどれぐらいの距離の近隣にあってもよい(あるいはあってほしい)施設か、という研究があったりするようです。例えば公園だったら家のすぐ隣はいや(うるさいから?)だが、100メートル以内にほしい、など。

本件に関して言えば、住民の側の不満については理解できるところがあります。なぜここまでこじれてしまったのか。自治体をまたいだところにも大きく原因がありそうです。まず、法律的には詳しくないのですが、公募要領を見ていますと、地域住民への説明と理解については、選定された事業者が行うもの、という考えが強くあるように見受けられます。

京都市にとってはまさか、自分達に説明責任があるとは思わなかったでしょう。ところが住民からすれば、間に入る行政が「別の自治体」であり、不安・不満が生まれるのは当然です。

また、普通であれば住民の意見をまとめ、事業者や行政とやりとりする町内会などのコミュニティ団体も、向日市であるため、京都市はもちろんつながりがありません。それも今回のプロセスを難しくしているように考えます。要するに、地域のキーパーソンとつながるパイプがなかったかと思われます(選定された事業者も大阪の事業者で、京都の土地勘はなかったかと)。

ところで、施設の建設反対運動というのは、実は住民が一致結束し、コミュニティづくりを活性化させる契機になったりします。例えば、先月「介護予防とボランティア」というテーマでお呼びいただき、講演した京都市西京区 竹の里地区では、15年以上前の高層マンション建設反対運動で中心的に活動した住民の方達がその後、NPOを設立したり、地域団体の役職をしていたりと、今でもコミュニティづくりの中心を担っているそうでした。なので、施設の社会的意義があるにせよ、NIMBY運動が一概に悪いとも言えないと私は考えています。

とはいえ、高齢化などで、救護施設は今後ますます重要性が増してくるでしょう。現在、生活困窮支援の窓口に相談に来ている年齢層は40代、50代が圧倒的に多いです。この世代が安心して生活していける基盤をどうやって作るかは最重要な日本の課題の一つです。そしてもし、事情で生活が難しくなったとき、その最後のセーフティネットとなるのは…救護施設しかないかもしれません。

他方で、全国救護施設協議会が2014年5月に出した『「救護施設が取り組む生活困窮者支援の行動指針」の手引き』によれば、全ての救護施設では、施設の解放、住民との交流、施設退所者・生活保護脱却後の人々への自立支援といった、地域貢献事業に取り組むべきという方針が打ち出されています。

福祉施設によっては最近、カフェや多目的ルームを住民向けに解放したりして、住民にとって利益があったり、あるいは施設の様子を見て理解をしてもらえる機会にしていたりします。こうした取り組みは素晴らしく、福祉施設への理解が育まれる機会になると考えられるのですが、救護施設は特殊性もあるので、実施はやや難しいかもしれません。今回の施設建設計画ではどのように考えられていたのか、気になるところです。

これも余談ですが、今、福祉分野では「過度な地域化」が進んできていることも気になっています。例えば、更生保護(受刑者の生活復帰支援)でも、刑期を早めて地域での自立支援に力を入れる方向性が出されていたりしますが、その「地域での自立支援」を担うのは誰なのか。介護分野でも同様で、2018年から始まった地域包括ケアシステムでも、地域で高齢者を見守る、と言いつつも、実態のない「地域」に丸投げする制度になっているのではないのか、等々です。救護施設の場合でも、どう地域と関わることができるのか。果たして地域での自立支援ということが可能なのか…(救護施設の職員さんたちも激務でしょうから、今以上にそれらのことを求められるのか、という問題もありますね)。

これらは前回の本ブログの投稿「香川さんになれない私たちはどうしたらいいのか 〜コミュニティでの助け合いに必要な覚悟〜」からつながっている問題意識でもありますね。このことはいずれまた、ちゃんと研究的にも整理をしたいと考えているところではあります。

いずれにしてもとりあえずは、住民の理解を得ようとするならば、その必要性だけでなく、京都市と事業者が施設の実態を丁寧に説明をし、誤解はふっしょくし、住民の方々の信頼と納得を一つ一つ積み重ねていかなければならないでしょうね。

スポンサーサイト



Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://sakunary.blog134.fc2.com/tb.php/263-83c861bf