考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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無縁社会への処方箋

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2011年2月11日および12日に放送されたNHKの「無縁社会」特集(※)へのコメント。

そもそも無縁社会ってなんだかよくわからないけど社会不安だけ煽っていてできるだけ避けていたのだが、この二日間の番組視聴及びツイッター上の議論を通じて、その無縁社会なるものの「成分」がだいぶ分かってきた気がする。




番組(12日のほう)で一人のフロア参加者が叫び、またツイッター上でも議論になったことですが、「なぜ無縁社会というのか。排除社会ではないのか。」
これはまったくそのとおり。無縁社会で時としてクローズアップされるのは現代日本社会における「社会的排除問題」である。

社会的排除とはEUの定義では、次のようになっている。
➢ 貧困による参加の阻止、学習機会の不足、または差別の結果として、社会の隅に押しやられてしまうプロセス。
➢ 仕事、収入や教育の機会、社会やコミュニティのネットワークや活動から疎遠にする。
➢ 権力者や決定機関へのアクセスから遠ざける。
➢ 日々の生活に影響を与える決定について無力と感じるようになる。

一方、それと対になる「社会的包摂」とは、
➢ 経済的、社会的で文化的な生活の中に十分に参加し、標準的な生活や福祉を楽しむことができるように機会や必要な資源を増やすプロセス。
➢ 生活に影響を与える決定に十分に参加し、基本的な権利へのアクセスを保障する。

と定義されている(いずれもEuropean Union, Joint Report on Social Inclusion 2004, European Union, 2004)

このような社会的排除概念は、従来の「貧困」に関する諸概念の捉え方と比べ、次の点で新しいとされている(Badelt, 1999; 福原, 2007)。

第一に多次元性である。社会的排除の議論は次の四次元での排除が想定されているとCommins (1993)は指摘する。第一に民主主義や法制度からの排除である。そうした人びとには公平な市民権が確保される必要がある。第二に労働市場からの排除である。そのため経済的な包摂が求められる。第三に社会サービスからの排除である。サービスへのアクセス支援が課題である。そして第四に家族やコミュニティからの排除である。これは対人関係的に排除されているということであり、友人・隣人づくりを支援する必要がある。こうした社会的排除の多次元性からは、貧困問題とは社会的排除のある一つの組み合わせであるという視点が提供される(Walker ,1995)。

社会的排除概念の新規性の第二は、プロセス重視である。従来の概念では、たとえば貧困という「状態」に注目されたが、社会的排除ではそれとともに、なぜ人びとが社会的に不利な状況に追い込まれるのかという過程にも注目する。第一の多次元性とあわせて考えれば、社会的排除概念は、人びとが排除された状態をきわめて長期的な視点から検討するものであることが理解できる。

この様に考えると、現在の日本社会で社会的排除に追いやられている人びとが幅広く存在していることに気づかされる。ホームレスや母子家庭、障害者をもつ人々や滞日外国人の生活課題が典型的ではあるが、それだけではなく現在の日本では、核家族化などにより地域での子育てが難しくなっていたり、「オールドタウン化」したマンションの高齢者が孤独死したり、引きこもりやニートの若者が増大するなど、あらゆる場面で社会的な排除を感じることが多くなっているといえる。番組で取り上げた「無縁』とは、ある部分、こうした問題に焦点を当てていると言える。

なお12日の番組では、イギリスの積極的労働政策の一部が紹介されたが、時間の都合か「わかりやすく」中途半端な形でしか紹介されなかった。
また、排除されがちな人びとに対するそうした政策こそがまさに重要な訳であるが、若者の雇用にしか焦点が当たらなかったのも残念であった。




他方で、そうした一般には排除されていないと思われる人びとの「つながり」の問題についても、番組では言及していた。「誰からも支援を得られない」という声もあった。それはいわば、共同体論、あるいは社会的ネットワーク論の文脈から説明できる。
この問題が難しいのは、誤解や俗説が広く流布しており、現在日本のそれをわりあい冷静に、実態を見ることができていない人が多い、と言うことである。

日本での共同体がかつてそれほど「つながり」を強固に持ち人びとが助け合っていた訳ではないことは、すでに前のエントリで述べたとおりである。
ここでは逆に、現代日本でも人びとの「つながり」は薄れていない、と言うことを実証(といっても有名な先生方の研究成果を切り貼りするだけですが)しておきたい。

ウェルマン(1979)は、1970年前後のカナダ・トロント郊外の住宅地の人々の援助ネットワークを調査することで、都市化によって人々のつながりがどう変化しているのかを分析した。その結果、都市の郊外地域においても人々のつながりは失われておらず、親密で強いつながりが分散し、広く存在しており、人々は緊急的・日常的に援助をそこから得ていることが明らかとなった。住民は拡大親族のネットワークは薄いものの、親子関係は援助関係として地理的距離を越えて重視されていた。また、仕事上の同僚は、親密さは薄いものの、接触頻度が多いため、日常的援助源となっていた。この結果は、現代の都市にはいくつもの社会圏(social circles)が重層的に存在しており、そして都市住民はそれらを連結する役割を果たしていることを示している。

こうしたネットワーク視点によるコミュニティの分析は日本でも数多くなされてきている。例えば松本(1995)は日本の都市部で、情報技術・通信網の発達を背景として、このようなコミュニティ「解放」が進んでいることを実証している。

このように社会圏が重層化している現在の地域社会においては、人間関係が気軽である反面、価値観や規範をつくりにくい側面がある。しかしソンとリン (2007) の研究結果によれば、人々は個人的なつながりの中で、価値・生活水準や福祉などを保持する行動と、それを新たに獲得する行動を行っていることが明らかにとなっている。

こうした諸研究から言えることは、たいがいの地域・人はつながりがないわけではない、ということだ。
むしろここでも、社会的排除を背景とした「つながりの薄い人達」に対する個別的な対処が課題であることが見えてくる。

例えば石田(2007)の調査分析では、「重要なことを話したり、悩みを相談する人たち」がまったくいない「孤立者」は、経済的資源(経済力)や人的資源(学力、健康)のある・なしに関わらず、離別・死別により婚姻関係を解消した人々や、高齢で男性で町村部に住む人々に多く見られる傾向にあることが明らかになっている。




残った「無縁社会」の成分は、ひとつは単身者急増を背景とした少子高齢化問題と、もうひとつは「自己有用感」という言葉が番組内で飛び交っていたことに象徴される、青年期の心理に特徴的な「疎外感」の問題である。

前者は、12日の番組では長々とVTRで将来の「悲惨さ」がドラマ仕立てで紹介されていた。
しかし、もしもこのまま何も政策的な手が打たれなかったら、という前提であることが説明されなかったのは、安易に不安を煽っているようにみえてちょっと頂けなかった。

単身者急増の少子高齢化問題については以下の二冊が参考になる。

アンデルセン、福祉を語る―女性・子ども・高齢者 (NTT出版ライブラリーレゾナント049)アンデルセン、福祉を語る―女性・子ども・高齢者 (NTT出版ライブラリーレゾナント049)
(2008/12/19)
イエスタ エスピン‐アンデルセン

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本書は福祉国家論ではあまりにも有名な「福祉国家レジーム」を提唱したエスピン・アンデルセンがヨーロッパの高齢者・女性・児童福祉政策の評価を、それまでの学術的実証研究の成果に基づき、演説した内容をまとめている。
日本ではこうした学術的成果が社会政策に反映されることはあまりないように思う。それだけに多くの人に読んでほしい名著である。ヨーロッパの経験を踏まえて、日本で行うべき少子高齢化対策を論じるには充分な、良質の書である。


単身急増社会の衝撃単身急増社会の衝撃
(2010/05/26)
藤森 克彦

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「無縁社会ブーム」で出版された本がいくつかある中で、これは白眉な内容。
単身者急増社会に焦点を絞っている所が論点を明確にしたのと、データも安易に使わずにしっかりしたものを掲載している点が評価できる。また、そうした単身者急増社会で起きるであろう社会問題に対して、ヨーロッパでとられている先進的な政策についても紹介しており、まさに「処方箋」まで論じているところは他の本とちがって責任感が感じられて、すごくいい。




以上、無縁社会の中身とは、社会的排除、社会ネットワーク(の誤解)、少子高齢化問題、青年期の疎外感であると「見立て」た。
ひょっとしたらもっと問題はあるのかも知れないが、いずれにしても「処方箋」を出すには、「病」が何なのか(それが病気かどうかも含めて)が分からなければ無理。
番組内のスタジオでの議論が不毛だった点はまさにそこにあると思う。

得体の知れない恐怖感に襲われた日本はまさに「無縁社会病」が蔓延した状態だと言える。
病気を蔓延させた人達はきちんとそれを「治療」する気はあったのだろうか。
「だいじょうぶ。たいした病気じゃないよ。」という専門家がいるだけで、不安感はずいぶん払拭されると思います。

まだ論じたいことはいくつかありますが、長くなったので、とりあえず今回はここまでに。


※番組は以下の通り
11日…NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」
12日…日本の、これから「働く世代の孤立を防げ」


<参考文献>
Badelt, C (1999) “The Role of NPOs in Policies to Combat Social Exclusion,” Social Protection Discussion Paper Series, No. 9912
Commins, P. (Ed.) Combating Exclusion in Ireland 1990 - 1994, Brussels: European Commission, 1993.
福原宏幸編著(2007)『社会的排除/包摂と社会政策』法律文化社。
石田光規「誰にも頼れない人たち:JGSS2003から見る孤立者の背景」『季刊家計経済研究』73号、家計経済研究所、2007年、pp.71-79。
松本康「現代大都市におけるパーソナルネットワークの変容」名古屋大学文学部研究論集. 哲学. v.41, 1995, p.143-168。
Son, J. & Lin, N. (2008) Social capital and civic action: A network-based approach. Social Science Research, 37, 330–349.
Walker, R. (1995): The Dynamics of Poverty and Social Exclusion, in: Room 1995, pp. 102-128
Wellman, B. (1979) “The community question: The intimate networks of east yorkers,” American journal of Sociology, 84, pp.1201-1231. (野沢慎司・立山徳子訳「コミュニティ問題」野沢慎司編・監訳『リーディングス ネットワーク論』勁草書房、2006年、159頁~200頁)。

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