考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

被災者・支援者二分論では見えない関係性

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本日は、東日本大震災から4ヶ月目。
大学では学生達の震災プロジェクトチーム「311R+net」が、キャンドルナイトを実施しました。

写真 11-07-11 19 46 11


東北学院大(多賀城キャンパスで同時にキャンドルナイトを実施)とSkypeでつないでテレビ会議をしたり、被災地支援活動をした学生達が報告をしたり、東北出身学生によるお国自慢大会?があったりと、盛況のうちに幕を閉じました。

(あ、私が担当してた被災者の「願い」を集めた七夕飾りのブースの写真がない!だれか関係者の方、これを見たら送って!!)
送ってもらいました。↓
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■撮影:黒田淳一(桜井ゼミ)

終わってからですが、スタッフをしていた学生が、こんなことを言ってました。

「自分は3月11日に実家にいて被災した。最初は被災者と呼ばれた。それからボランティアをするようになって支援者と呼ばれるようになった。その、どちらで呼ばれるにしても、居心地の悪さがあった。なぜ、二分論的に、分けられなければいけないのか。だから今回の企画でもスタッフとお客さんを分けたくなかった。来た人みんなが参加する企画にしたかった」
とのこと。その目論見は大成功だったかと思います。皆、楽しんで参加をしていました。

今回の震災で、日本人というのは慎み深く他人への配慮を持ち、思いやりにあふれた国民性であることを実感しました。被災地での物資を分け合う姿や、公共交通機関が麻痺した東京で街路沿いの住宅が徒歩帰宅者にトイレを貸したりする姿は、今でも強く印象に残っています。

ただ、それもいささか行き過ぎているかも知れない、というケースもいくつか出てきてます。例えば、震災直後の全国各地でみられたイベントの自粛です。「被災地では苦しんでいる人達がいるのに、自分たちだけ楽しんでよいのか。」という雰囲気があちらこちらで形づくられました。そのために、震災の被害は直接的には全くなかった関西や九州などで、お花見などが中止されました。今回の政府の節電要求でもそうした現象は起きつつあります。「被災者の方たちはもっと大変なのだから」と、高齢者の方々がクーラーの使用を控えてしまうことで、熱中症が多発するのではないかと心配されています。

こうしたことは良くも悪くも、日本人は悲しみや苦しみといった、マイナスの心情を共感することにはとても優れた感性をもった国民性であることを示しているのではないでしょうか。今回の震災でも多くの人達が被災者の方々のためにボランティアとして駆けつけています。もちろん、災害時にボランティア精神を発露させる人が増えるのは世界的に共通したことです。ただ、平常時のボランティアのあり方を見ても、日本人が得意なのはそうしたことなのかな、と思ったりします。

これに対して数年前、私がカナダで調査をしたときのボランティアとの出会いは衝撃的でした。福祉施設で出会ったボランティアの方は、「私はピアノを弾くのが好きで、施設利用者の人とも歌ったりするために来ているの。楽しいからボランティアしているのよ。」と陽気に言いました。ああ、ずいぶん、日本とはボランティアのイメージが違うなあと驚きました。

つまりそれは、悲しみや苦しみといったマイナスの心情への共感(からのボランティア活動)と、喜びや楽しみといったプラスの心情への共感(からのボランティア活動)との違いでした。なぜか、日本には、ボランティアは楽しんではいけない、というような教条が広がっているように思います。しかし考えてみたら、どちらにも共通するキーワードは、分かち合ったり、分担したり、共有するという意味での「シェア」ではないでしょうか。ボランティア活動とは喜びや苦しみを自分だけでなく他者と分け合い、共有する活動だと考えられます。「自分のためか、人のためか」という議論では整理がつかない、他者と自己とのつながり、関係性のあり方がそこにはあります。このようにボランティアを考えてみたらどうでしょうか。

冒頭の学生は、「自分の目の前の人のことを考えて行動すればいいのよ」と、ある人から言われ、それがひとつの行動指針となった、とも話していました。
支援者と被災者。二分論を越えて、人と人とが何かをシェアしたいと思ったときに、人はボランティアとなるのかなと思います。

そう考えると、ボランティア活動とインターネットとが相性がよいのもうなづけます。インターネットの世界では瞬時に見知らぬ人同士がつながりあうことができます。あるいはリアルな世界での関わりを補完し、強化します。ツイッターやフェイスブック、ミクシィといった、SNSはいま、日本で大変盛んになってきています。こうしたサービスを使って、自分が面白いと思った本・映画・音楽、その他何でも情報を、知り合いや見知らぬ人と「シェア」することができます。辛い感情・楽しい感情もネット上では容易に「シェア」することができます。このように多くの人たちはすでに、ネット上の諸サービスを通じて、日々、シェアの意義を実感しているわけですから、支援活動も容易に実行に移します。ここでも「リアルかバーチャルか」の二分論では見えないものがあるのかなと思います。


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