考えるイヌ〜桜井政成研究室〜

研究メモ、ゼミなどの教育活動、その他関心事など。

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愚か者しか行えない復興教育

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復興教育を文科省が提唱した。というので、たまげてしまった。

以下、朝日新聞 2011年11月20日14時3分配信記事の引用。

「復興教育」文科省が計画 非常時の判断力育てる

 文部科学省は東日本大震災の経験を未来に生かす「復興教育」に取り組む方針を固めた。非常時にも自ら判断し行動できる「生き抜く力」を育むこと、地域の絆を強めることが柱で、復興に貢献できる人材を育てるキャリア教育も行う。近く省内にタスクフォースを設置。再来年度から実施する教育振興基本計画のメーンテーマとする方針だ。
(中略)
 そこで文科省は「困難を生き抜く力」や「絆づくり」を復興教育の柱に据えることにした。学習指導要領で掲げている「生きる力」にも通じる考え方だ。
(中略)
 幹部7人からなる中川正春文科相直属のタスクフォースを22日にも設置。「地域コミュニティーとの協働」を掲げ、実践的な防災マニュアルづくり▽ボランティアによる放課後学習支援▽復興教育に取り組む大学やPTA、NPO法人への活動費支給を進める。こうしたソフト事業に第3次補正予算と来年度概算要求で計約128億円を計上し、復興教育への取り組みを促す。(花野雄太)



これは高度なジョークかなと思い、日付を確認したが4月1日にはまだだいぶあるし、発信元は虚構新聞かと思ってそちらも確認したが、違っていた。

何を驚いたのかって、サザエさんのマスオさん風に言えば、

「ええっ!非常時に「自主的な判断」ができず、「地域の絆」をずたずたに切り裂いている国が、それらを促すって言っているのかい?」

という感じである。

悲しいかな、人は記憶を風化させる。
各地の被災地では、津波の記憶を後世に残そうと、メモリアルの碑や建物を立てるとか、学校で体験を伝える教育をしようとか、様々な取組がなされようとしている。

各地には、そこまで津波が到達したことを記録した、記念碑があったという。しかし、字も読み取れないほど、文字通り風化していたり、あるいはそうでなくても、存在自体に、誰も気に留めないようになっていた。安全安心を過信していたのだろう。その結果が、今回の悲惨な事態を招いた。少なくとも助かる命も助からなかったのではないか、という悔恨満ちあふれた反省が、今回の記憶を残そうとする被災地での強烈な想いの背景にあるのだと思う。

人間は愚かである。
自分たちはまさに愚か者であった。
そうした真摯な姿勢からしか、危機的状況における処世を他者には説けない。日常生活に潜む気のゆるみがどのような事態を招くのか。常識と思われていたことが、非常時にはどれだけ役に立たないのか。まさに人間の業というか、性というか、ちっぽけな悲しき存在といった人間観自体を伝えていくことが、災害伝承の持つ、もっとも重要な点なのでは無いだろうか。単なる絵空事の、サバイバル術の話ではないのだ。

しかし、「復興教育」にはそうした企図が読み取れない。そもそも国に、自分たちは愚かであったという反省が一片たりとも見られない。

原発事故が発生したとき、避難指示を出さなかった。ヨウ素剤も配布しなかった。そもそも今現在、放射線管理区域並みの放射線量のある地域でも、普通に人びとを生活させている。
あるいは、被ばく地以外においても、国の法律策定や予算措置が遅れているため、復興が進まないという怨嗟の声は大きい。瓦礫の処理が遅遅として進まないのも、受け入れ自治体や住民の「思いやりの無さ」に責任を転嫁し、自分たちが安全対策を十分に行っていないことを棚に上げてしまっている。
(あ、それで、「国に頼るな。自分たちで何とかせい」というメッセージで、今回の復興教育があるのかな。)

地域に絆についても、同様。
復興支援の遅れが、絆の分断を招いている。雇用支援が遅れているから、家庭を支える若い人達はさっさと都市部に転居し、被災地に残っているのは高齢者だけ…となってしまったところも出てきている。

被ばく地ではより深刻だ。11月1日に市民が中心となり開催した「ふくしま会議」では、そうした「分断された関係性」が、次々にあらわになっている(赤坂先生の報告より)。被ばくしても生まれ育った土地に残りたい高齢者と子どもの健康を心配する若者世代の対立。避難した人と残った人の対立。除染をすればなんとかなるという人と不安視する人との対立…。
なぜ、このような状態になってしまったのか。会議では、とことん話し合うことで、分断は幻想であったことを確認している。

確かに分断は幻想なのであろう。
しかし、では、その幻想をうつつであるかのように思わされている構造はなんなのか。本当の敵は誰なのか。あるいはそこに、政策的瑕疵は無いと言えるのか。

このような状況を被災地、いや、日本全体につくりだしてしまっているという反省が国に無い限り、うまくいくはずがない。というか、ジョーク以外の何者でもないと思う。被災地の人達の気持ちにおもねるだけでなく、自分たちからまずは「復興教育」を始めてほしい。
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